日本古典文学大系月報3

「大系」月報3は第3巻『古代歌謡集』附録。

2同様「各巻目次」はない。まだスタート直後なので当分先のことは言わないのだろうか。マラソンで「いよいよ残り40キロです」と言わないようなものか。それとも本体の方の巻末にでも載せて月報は止めたのだろうか。「大系」のこのあたりの巻は手元にないのでわからない。

 

矢島恭介(東京国立博物館考古課長)「歌舞奏楽をあらわした二三の考古遺物」、林謙三(奈良学芸大学教授)「音楽として見た催馬楽」、高木市之助「記紀歌謡の植物園」、山岸徳平「緞子と金襴の表紙 及び「みどり」の黒髪 ―書誌学の話 三―」、土橋寛「古代歌謡と「楢山節考」」

奈良学芸大学は現在の奈良教育大学、前身の奈良師範学校をさらに遡ると明治7年開設の寧楽書院だとウィキペディアが教えてくれた。寧楽の表記が現在に残らないのはもったいない気がする。

 

矢島恭介「歌舞奏楽をあらわした二三の考古遺物」

群馬県群馬郡滝川村の高塚古墳から出土したと伝えられている古鏡の背面に、槍と盾を持った一団の人物が躍り、舞っている状をあらわしたものがある。(……)所々に鹿などの獣が点々と見られるところから、これは狩猟の図をあらわしたものであると一般に考えられているのであるが、しかし、この画面に見られるものは、(……)獲物の豊かであった収穫を祝って歓喜・躍舞している状であると見られるものである。」

“あらわしたもの”と“見られるもの”がどんどん出てきて、ちょっと小煩い校正ソフトなら警告してきそうだし、普段私はこういう文章につんのめって苛立つたちだ。この後の文章もこんな感じで繰り返しがやけに多い。しかしそれが、なぜかだんだん心地よく感じるようになるのは、古代の歌舞を扱った文章だからだろうか。

 例の有名な〈踊る埴輪〉の写真が掲げてある。

「注目される点は、このような卑俗な風采で、しかも、目鼻や顔の表情は、よほど変わった貌をしていて、両手は、しなやかに上下に振りつけて、身振りよろしく謡いながら踊っている姿を表している。唄う埴輪と言われるように、極めて自由な、とらわれるところのない姿態で踊り、唄っている。この埴輪からは確かに歌声が聞こえてくるようである。」

読みながら写真を見ると、本当にしなやかで自由でとらわれるところのない姿に見えてくる。(それにしても「よほど変わった貌をしていて、両手は、しなやかに上下に振りつけて、身振りよろしく謡いながら」というような文章を、今の私たちが書けるだろうか?私は書けない。羨ましさに内心身悶えするだけだ。)

しかし、後の研究によると、実は踊っているのではなく馬を引いているのだという。熊谷市のウェブサイトでは「しかし、ここまで、知名度が高まってしまうと「踊る埴輪」という名称自体が固有名詞化していると判断され、(……)万が一踊っていなくとも問題はないと判断されます」とある(熊谷デジタルミュージアム「コラム21:踊る埴輪と踊り」)。実際、あれほど楽しそうに馬を引いているなら、「万が一踊っていなくとも問題はない」と言ってよいだろう。

 

土橋寛「古代歌謡と「楢山節考」」

「『楢山節考』のうわさ話もやや下火になって、世間の人気はまた新しい文学賞作品に移ってゆくようである。しかしこの作品は、ぱっと人気をあおって消えてしまう流行作家の小説とは少し違っていて……」と書き出される。

深沢七郎楢山節考」は昭和31年、つまりこの月報が出る前年の11月に「中央公論」に掲載され、第一回中央公論新人賞を受賞。第二回は該当なし。

「新しい文学賞作品」は何か。この月報が昭和32年7月発行なので、その少し前なら芥川・直木賞の前年下半期(1月選考・3月号に掲載)か。31年下半期の芥川賞は該当なし、直木賞今東光穂積驚だが、それよりは読売文学賞三島由紀夫金閣寺」の方がありそうな気がする。「ぱっと人気をあおって消えてしまう流行作家」には前々年度(昭和30年下半期)芥川賞・第1回文学界新人賞を受賞しすぐに映画化された「太陽の季節」も連想する。いずれにせよ文学(賞)に「世間の人気」があった時代を偲ばせる。

月報2の大野晋によるレプチャ語起源説批判もだが、月報は本文と違って消えもの扱いなのか、時事的な内容があらわれるのが面白い。